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スポーツのブログ

欧州サッカーに関するブログです

[映画] 黒沢清『ドレミファ娘の血は騒ぐ』(1985)

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2017年3月4日(土)@ 早稲田松竹

 是枝裕和早稲田大学で映画製作の授業を持っているらしく、彼による監修で制作された学生映画2本との同時上映。学生映画は退屈だったので割愛。

 初期の黒沢作品はほぼ未見なのだが、これは素晴らしかった。 クレジットには、スタッフとして万田邦敏塩田明彦、篠崎誠らの名前が並ぶという贅沢な作品でもある。本来のタイトルは『女子大生 恥ずかしゼミナール』だったらしいが、そのタイトルを裏切らない日活ロマンポルノ的な内容。

 赤と緑、落下、アジテーション、つなぎ間違い…多くの人が指摘している通り、とにかくゴダール。かなり笑ってしまったのだが、編集の生むリズムも抜群で、黒沢がゴダール同様に運動神経の良い監督だということを痛感した。とりわけ、『女は女である』(1961)ばりの、俯瞰ショットによるミュージカルは映画的な喜びに満ち満ちている。色彩感覚は当時から冴えていたのだろう、赤の置き方やアヴァンな照明が目を引く。唐突に挟まれる小津的な切り返しも良かった。これをゴダールかぶれのシネフィルが撮った青臭い映画だと一蹴するのは簡単だろうけど、僕はそれ以上の映画だと確信している。意味や心理的なものを画面から消して、とにかく映画の原初的な喜びを撮ることに終始している。最高だ。

 ま、そんなことよりこれがデビュー作だという洞口依子の挑発的なくちびるにやられてしまうよね。

 

 

ドレミファ娘の血は騒ぐ [DVD]

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[漫画] 池辺葵『雑草たちよ 大志を抱け』(祥伝社, 2017)

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 『プリンセスメゾン』の池辺葵による、素晴らしい群像劇。あくまで物語の中心はがんちゃんことなづななのだが、登場人物はどれも個性が立っていてユニークだし、柔らかなタッチで描かれる少女たちはどれも等しく愛おしい。台詞のセンスも鋭く、帯文の

いつか、この日々を忘れたとしても、魔法の言葉が私を活かし続ける。

という文句通り、どの"魔法の言葉"もシンプルで力強い。青年期特有の自意識や純朴さが巧みな台詞と詩性溢れるコマ割りで描かれていて、多用される背景の省略は少女たちの内面を前景化させてくれる。

 ただ、水中書店の今野さんが指摘していたように*1、このタイトルはどうにかならなかったものか…と思う。特に「雑草」というクリシェの持つイメージは、この作品と些か乖離しているように思えてならない。自分ならどういうタイトルを付けるだろう。『まゆげ』とか?いやいや、違うか…。

 

雑草たちよ 大志を抱け (フィールコミックスFCswing)
 

 

[漫画] 田中圭一『死ぬかと思ったH 無修正』(アスペクト, 2015)

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 『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』(角川書店, 2017)を読んで間もないから、こんなにもくだらない作品を読んで安心した。ボーナストラックとして収録されている『田中K一のダメリーマンあるある』には声を上げて笑う。手塚タッチはもちろん冴えているが、唐突な福本信行にも哄笑。

 しかし、この田中圭一という男を赦してしまう手塚るみ子の偉大さ。故人の著作権・版権にまつわる話が、こうも温かい話ばかりだと良いのだけど…。

 

死ぬかと思ったH 無修正

死ぬかと思ったH 無修正

 

 

[漫画] 田中圭一『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』(角川書店, 2017)

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 うつ克服というより、易しい精神医学の本ですらある。とにかく、図の分かりやすさが素晴らしい。経験者にしか描けないであろう、正体不明の「うつ」という存在の重苦しさも痛いほど伝わる。お下劣サイテーパロディ漫画家としての田中圭一は何処へ、と不安にさせられるくらいだ。

 ところで、この本で一貫して強調されているのは、主観と客観、そして諦観である。

いかに「健康的なナルシシズムを取り戻すか」*1

という台詞が象徴するように、超主観的に自己を見つめ、そして愛すことがいかに健全かを説く。極度な自己否定がうつ状態を導くのは、うつ未経験者でも想像に難くないだろう。次に、自身の置かれている環境を俯瞰して処理し、誇大な被害妄想を解消するという客観。そして最も大切なのは、大槻ケンジの語る、

「不安」は消えることなく時々ちょっかいを出してくる困った存在だけど
いっしょに歩くことが可能なヤツだ*2

という諦観。僕が双極性障害に悩まされた時期、主治医に言われたアドバイスはすべてこの3つに集約されていたように思う。

 もちろん、うつの真っ只中にいる人間にとってこれらを意識することはとても、とても難しい。目が覚めてもベッドから出ることすらままならず、毎日20時間も眠りこける。薄黒い靄が脳いっぱいに詰まった人間が、そんなことを意識するのは不可能だ。多くの読者がAmazonレビューなどで指摘しているように、この本のうつヌケエピソードは、その大半が理解ある友人・家族がきっかけであることは特筆しておかなければならない。現に、自分の症状が快方に向かったきっかけも理解ある友人と家族の存在だった。

 だけど肝心の田中圭一は、宮島賢也『自分の「うつ」を治した精神科医の方法』(河出書房新社, 2010)がきっかけでうつヌケをしている。ある人は友人・家族、ある人は仕事、またある人は一冊の本…。何が脱出のきっかけになるかなんて、結局はその人次第だ。離人症的な無関心、過酷な労働、そして孤独という現代社会の諸問題が幾重にも絡み合った病巣の表層がうつである。みな同じ治療で同じように良くなる、そんな訳ない。これも一つの諦観だ。

 うつというのは、いつ再発するか分からない。特に双極性障害は基本的に完治することがなく、寛解にも膨大な時間を要するケースが多いと言われる。でもそんなの、うつの人間はみんな分かっている。だからとりあえず、楽に行くしかないんだよね。

まあnegativeに考え込むなよ

take it easy

兄弟で不安は消える

 

5lack - 夢から醒め

 

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

 

 

*1:p.89

*2:p.49

[映画] 富田克也『バンコクナイツ』(2017)

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2017年2月25日(土)@ テアトル新宿

 観賞前には一抹の不安を抱いていた、スタジオ石(stillichimiya)による撮影が非常に良かった。ロングショットはどれもばっちりキマっていて、バンコク~イサーン~ラオスの甘美な遠景が頭に焼き付く。横移動のカメラがなかなか特徴的で、乗り物を面白く撮れていたのも◎。物語の軸がバンコクを離れるまではやや散漫な印象も受けたが、オザワ(富田克也)がラオスに向かい始めてからは一気にスクリーンに引き込まれた。空撮が捉える地を穿つ穴たちと、けたたましく轟く爆撃音は非常にクリティカル。ラストの俯瞰ショットには息を呑んだ。

 途中、イン(パンジャリー・ポンコン)が放った"I'm woman!"という言葉。あるいはラストの"イム(女性)"という字幕。共にラック(スベンジャ・ポンコン)への、あるいはすべての女性への賛歌のように響く。極上のロードムービーでありながら、ある意味では真摯なドキュメンタリーでもある。バンコク - イサーン、日本人 - タニヤの風俗嬢、先進国 - 途上国…。あらゆる対立項を周縁の存在として解すラックの強さにやられっぱなしだった。きっと侯孝賢なら、もっと艶やかなバンコクに仕立て上げるのだろうか?

Women of the world take over

'Cause if you don't the world will come to an end

And it won't take long


Jim O'Rourke - Women of the World